サイタマとマジックと僕 その1
2009年2月10日 MTG回顧 コメント (2)まぁアレです。物事において「2回目」ってのは割かし重要ってやつ。
まずは初っ端に挨拶して、2回目で方向性をアピールしていく…みたいな?
お題は「レガシー方面」
自分的にとっては難易度高め。そりゃねぇ、へっぽこが現環境に物申す!とかやっても「あぁ?レガシー動画でも見てろやオゥ」みたいになっちゃう。やばい。
デッキリスト書いてみても「千葉では1-4乙ッシターwwwいーじゃないスか1勝できて(笑)え?バイさん?相手はどっかの外人さんっすかー?wwwwwww」みたいになっちゃう。やばい。
てかもうね、ネタバレしちゃう。目的。・・・目的!?
一応「埼玉におけるレガシーの普及」ってのを脳内で掲げてみたわけ。お、それっぽくね?
ほら、レガシースレにレポあげちゃうとか必死のアピールなわけですよ。健気にもw
あとはまぁ……アレ。個人的なリハビリ?公衆面前でオナニーするための。結局それか。
さて、軽めのジャブで早速周囲の腰が引けたところでw
日記のコメからちょっと過去バナをしてみたくなった。マジックを始めてからそれなりに長いしおっさんだし、ちっとは書いてもいーんじゃねーの?とか思ったのね。
一応レガシーっぽいことに繋がるとこにもっていく予定。
1996年の4月くらいかな。大学の友人にマジックを教えてもらった。
初の日本語セットである4版がもうすぐ出るぞ~ってな頃。初パックは4版英語でレアは凄腕の暗殺者。10版にもあるんだなコレ。
どーやら青はややこしい、と速攻で見切りをつけて赤緑を組ませてもらう。フィニッシャーは大喰らいのワーム。甲鱗様じゃなかったw 血の渇きとジャイグロの使いどころを考えるのが楽しかった希ガス。
大学は東京と神奈川の境にあった。八王子から横浜線。
暇を見つけては新宿に出てイエサブのハイパーアリーナへ。信じ難い広さのデュエルスペースだったな。渋谷のDCIはまだ存在してない。赤緑が徐々に増えるカード資産と共にランデスへと変化していく。カープルザンの森が当時の憧れw 96年世界選手権でNAC氏のステロイドが活躍したからね。高騰&売ってなかったんだわ。
そんな感じでしばらくは大学or新宿でマジックをしてた。相手は教えてくれた友人のみ。情報源の少なかった時代で、翻訳本やRPGマガジンを読みこんでアイデアが浮かぶとデッキを組み替えて…ってな日々。できれば新宿で仲間を増やせれば良かったのだけれど、正直敷居が高かったイメージがある。デュエルしてる連中はA定食からヒム連打&ネクロでゴガガガガとドローとかぶっちゃけ怖かったw そんなだから雑誌に登場する人物はアイドルwで赤緑使いの自分はNAC派(何
んでそういう方々を生で見る機会(笑)を探していたら見つけたのが、ミラージュのプレリ大会。ハガキで応募して「抽選」で当たれば参加できるかも?っていうw
無事当選して大喜び。前日イエサブでネットから入手したカードリストをプリントしたやつを1000円で買って(ここでネットの重要さに気付くw)わくわくしながら参加……なんだけど、大会内容が330名によるシングルエレミ!www
そんな中での初シールドでは結果は当然1没。知り合いもいないのであとはただ観戦モード。ちなみにリミテッドってなに?みたいな頃。勝ち上がるのは自ずと強豪さんたち。かのTOSHIKI伝説である「卑屈な幽霊にデッチャで除去」はここで生まれたとされているw まぁ勝ち上がり戦じゃ弱パック引いたらそんくらい必死こかねーと勝ち上がれなかったのかもな…と想像。TOP4には残れてなかったけどねw 決勝は当時最強高校生と噂の石田格氏と船越氏。当時の感覚で表現するなら「噂の石田クンが淡々と3/3トラとかでボカボカ殴りつつ相手のエンドに『テリムトーの投げ矢で1点本体』とかやってたら勝っちゃった」みたいな感じw ともあれ強豪達の対戦を生観戦したことによって、要するに「競技マジックに対する憧れ」ってのが芽生えちゃったんだな。このあと一つの事件が起こるとも知らずに。
つづく
ってかサイタマ出てきてねーじゃんwww
まずは初っ端に挨拶して、2回目で方向性をアピールしていく…みたいな?
お題は「レガシー方面」
自分的にとっては難易度高め。そりゃねぇ、へっぽこが現環境に物申す!とかやっても「あぁ?レガシー動画でも見てろやオゥ」みたいになっちゃう。やばい。
デッキリスト書いてみても「千葉では1-4乙ッシターwwwいーじゃないスか1勝できて(笑)え?バイさん?相手はどっかの外人さんっすかー?wwwwwww」みたいになっちゃう。やばい。
てかもうね、ネタバレしちゃう。目的。・・・目的!?
一応「埼玉におけるレガシーの普及」ってのを脳内で掲げてみたわけ。お、それっぽくね?
ほら、レガシースレにレポあげちゃうとか必死のアピールなわけですよ。健気にもw
あとはまぁ……アレ。個人的なリハビリ?公衆面前でオナニーするための。結局それか。
さて、軽めのジャブで早速周囲の腰が引けたところでw
日記のコメからちょっと過去バナをしてみたくなった。マジックを始めてからそれなりに長いしおっさんだし、ちっとは書いてもいーんじゃねーの?とか思ったのね。
一応レガシーっぽいことに繋がるとこにもっていく予定。
1996年の4月くらいかな。大学の友人にマジックを教えてもらった。
初の日本語セットである4版がもうすぐ出るぞ~ってな頃。初パックは4版英語でレアは凄腕の暗殺者。10版にもあるんだなコレ。
どーやら青はややこしい、と速攻で見切りをつけて赤緑を組ませてもらう。フィニッシャーは大喰らいのワーム。甲鱗様じゃなかったw 血の渇きとジャイグロの使いどころを考えるのが楽しかった希ガス。
大学は東京と神奈川の境にあった。八王子から横浜線。
暇を見つけては新宿に出てイエサブのハイパーアリーナへ。信じ難い広さのデュエルスペースだったな。渋谷のDCIはまだ存在してない。赤緑が徐々に増えるカード資産と共にランデスへと変化していく。カープルザンの森が当時の憧れw 96年世界選手権でNAC氏のステロイドが活躍したからね。高騰&売ってなかったんだわ。
そんな感じでしばらくは大学or新宿でマジックをしてた。相手は教えてくれた友人のみ。情報源の少なかった時代で、翻訳本やRPGマガジンを読みこんでアイデアが浮かぶとデッキを組み替えて…ってな日々。できれば新宿で仲間を増やせれば良かったのだけれど、正直敷居が高かったイメージがある。デュエルしてる連中はA定食からヒム連打&ネクロでゴガガガガとドローとかぶっちゃけ怖かったw そんなだから雑誌に登場する人物はアイドルwで赤緑使いの自分はNAC派(何
んでそういう方々を生で見る機会(笑)を探していたら見つけたのが、ミラージュのプレリ大会。ハガキで応募して「抽選」で当たれば参加できるかも?っていうw
無事当選して大喜び。前日イエサブでネットから入手したカードリストをプリントしたやつを1000円で買って(ここでネットの重要さに気付くw)わくわくしながら参加……なんだけど、大会内容が330名によるシングルエレミ!www
そんな中での初シールドでは結果は当然1没。知り合いもいないのであとはただ観戦モード。ちなみにリミテッドってなに?みたいな頃。勝ち上がるのは自ずと強豪さんたち。かのTOSHIKI伝説である「卑屈な幽霊にデッチャで除去」はここで生まれたとされているw まぁ勝ち上がり戦じゃ弱パック引いたらそんくらい必死こかねーと勝ち上がれなかったのかもな…と想像。TOP4には残れてなかったけどねw 決勝は当時最強高校生と噂の石田格氏と船越氏。当時の感覚で表現するなら「噂の石田クンが淡々と3/3トラとかでボカボカ殴りつつ相手のエンドに『テリムトーの投げ矢で1点本体』とかやってたら勝っちゃった」みたいな感じw ともあれ強豪達の対戦を生観戦したことによって、要するに「競技マジックに対する憧れ」ってのが芽生えちゃったんだな。このあと一つの事件が起こるとも知らずに。
つづく
ってかサイタマ出てきてねーじゃんwww
コメント
シンジラレナーイ
リンクありがとうございました。また対戦することになったらよろしくおねがいします。