サイタマとマジックと僕 その3
2009年2月11日 MTG回顧 コメント (4)※前日記の続きです。
1999年春に大学卒業&就職して結果的にマジックを引退することに。何せ就職先は全国にチェーン展開していて自分の勤務地が新潟と山形の県境ときた。手持ちのカードを持ってはいったがデッキを回す機会は残念ながら無かった。やがて自然とマジックへの熱は消えていってしまった。
一応マジックに一区切りするにはいいタイミングでもあった。ちょうど現在の「第6版ルール」へと大きく変更されるところだったからだ。あとは・・・個人的にはMoMAやメグリムジャーといった悪しきコンボデッキが環境をのさばっていた状況にやや辟易してしまっていた・・・てのもあったかとw
で。
2000年初夏。最初の就職先を辞めプーになるwwwwww
だが、それじゃ早速マジック復帰~~とはならなかった。幾つか理由はあったのだけれど、要するにマジックの優先順位が大きく下がってしまっていたということ。もっぱらバイト&スロットで日銭を稼ぐ生活がしばらく続いた。
んで2000年の冬に「たまたま」気が向いてカードショップに足を運び(上福岡・黒田書店の・・・最上階ではない狭いデュエルスペースだった)久々にマジックを楽しんでる学生(多分J北S玉高校だろう・・・後輩だなぁ、とか思ったし)の姿を眺めた際に登場した『スタック!』なる謎ワードに激しく衝撃を受けるw ・・・・ナニソノ英語wwwwwwwww
第6版ルールの存在をとんと忘れかけていた自分には衝撃的で、しかも目の前で回しているどうやらスタンらしいデッキからは相手のエンドと共にワラワラと白い生物どもが沸いて出てくるではないか!ナニソレーキモーイwww ・・・要するにレベルだったわけだけどw
でだ。ここからがわざわざ続きモノをいきなり展開&ナニ過去バナとかしてオナッてんのwww みたいなことまでしてようやく今回言いたいことなんだけど。
マジックからしばらく離れてるとさ。ふと興味が再び湧いた時に、わかんない最新のカードとかが飛び交ってると、やっぱり「引いちゃう」んだよね。少なくとも自分はそうだった。・・・当然違うケースもあると思う。ただ、やめてしまう前の仲間連中が手引きしてくれないと、やっぱり復帰するのはキツいんじゃないかな?
それじゃあコレ書いてるヤツはどうやってマジックに復帰したワケ?ってことなんだけど、帰宅後にマジックのサイトを覗いてたら飛び込んできた「グランプリ京都」の記事を読んだことによって復帰の足がかりができたんだな。
2000年のGP京都。エクテン。優勝者はローリーさんのネクロドネイト。
そこに載ってるデッキリストを見ると、自分の知ってるカードが登場してた。98年のスタンに最も気合いが入ってた自分にとってはトレードサバイバルが馴染み深い。そしてそれのエクテンバージョンがTOP8に入っていた・・・ってのがでかかった。
「俺の好きなカードが使えるじゃん!」
思わずヤフオクで足りないパーツであるトロピーを入手。あとはショップでパーツを買い足して、シーズン最後と思しきPTQ東京へと殴りこみ。・・・6版ルールをろくすっぽ知りもしないでPTQに突っ込むとか、我ながら失笑モノだけどwww
ただ、それも仕方なかった。
だって、俺の知ってるカードを使って、誰かと対戦する機会って、その時PTQしかなかったんだよねw
とりあえずサイドでネクロドネイトをガンメタして内心すげーどきどきしながら試合に臨んだw 初戦はネクロドネイトで、途中ルール理解不足のためにIllusions of Grandeurのライフ回復を誤魔化されたものの、どうにか勝利し、2回戦で補充にボコられ、3回戦で後の06ワールド2位さんのネクロドネイトに・・・「プレイングであしらわれ」て負けた。特に2本目はガンメタサイドしただけにかなり戦える形だったところを、要所要所をピンポイントに強迫打たれてカウンターを抜かれたのが新鮮な驚きだった。・・・ぶっちゃけ単なる安全確認だったのだけどw ただ、その時の相手は高校生だったからね。「うわ今の高校生ってすげーうまいなー」と感心&9841でテンション↑したのを覚えてる。しかし次戦の地雷デッキ相手に事故って負けてむかつきドロップwww
ともあれこんな感じでマジックに復帰した次第。だから自分みたいなシチュエーションで今だったらどうだろう・・・?とか考えてしまったわけ。
んで当時のエクテンって部分がまんま今のレガシーっぽい感じじゃないかと。
ただし今だったらトーナメントがPTQだけしかない・・・のとは違って、AMCをはじめとした草の根トーナメントがあちこちで開かれている・・・・のは今のとこ関東くらいか。とにかく楽しみに来たぜ~、でウェルカムな土壌がさらに広まりつつある。
実にいいじゃん。レガシー。
自分みたいな復帰組にも、そしてフェアリーやフィッシュ(大昔回してたヨ・・・w)みたいなスタン+αで現在バリマジックやってるッス組にも受け皿があるのは、うん、最高なんじゃね?いやホント。そう思うわw
とまぁ、おのぼりサンがナニ熱くなってんすかー(笑)的にまくしたてたところでおしまいにしとけばいいとは思うんだけど、あと1回だけグダグダ続けさせてください。サーセンwww
つづく
1999年春に大学卒業&就職して結果的にマジックを引退することに。何せ就職先は全国にチェーン展開していて自分の勤務地が新潟と山形の県境ときた。手持ちのカードを持ってはいったがデッキを回す機会は残念ながら無かった。やがて自然とマジックへの熱は消えていってしまった。
一応マジックに一区切りするにはいいタイミングでもあった。ちょうど現在の「第6版ルール」へと大きく変更されるところだったからだ。あとは・・・個人的にはMoMAやメグリムジャーといった悪しきコンボデッキが環境をのさばっていた状況にやや辟易してしまっていた・・・てのもあったかとw
で。
2000年初夏。最初の就職先を辞めプーになるwwwwww
だが、それじゃ早速マジック復帰~~とはならなかった。幾つか理由はあったのだけれど、要するにマジックの優先順位が大きく下がってしまっていたということ。もっぱらバイト&スロットで日銭を稼ぐ生活がしばらく続いた。
んで2000年の冬に「たまたま」気が向いてカードショップに足を運び(上福岡・黒田書店の・・・最上階ではない狭いデュエルスペースだった)久々にマジックを楽しんでる学生(多分J北S玉高校だろう・・・後輩だなぁ、とか思ったし)の姿を眺めた際に登場した『スタック!』なる謎ワードに激しく衝撃を受けるw ・・・・ナニソノ英語wwwwwwwww
第6版ルールの存在をとんと忘れかけていた自分には衝撃的で、しかも目の前で回しているどうやらスタンらしいデッキからは相手のエンドと共にワラワラと白い生物どもが沸いて出てくるではないか!ナニソレーキモーイwww ・・・要するにレベルだったわけだけどw
でだ。ここからがわざわざ続きモノをいきなり展開&ナニ過去バナとかしてオナッてんのwww みたいなことまでしてようやく今回言いたいことなんだけど。
マジックからしばらく離れてるとさ。ふと興味が再び湧いた時に、わかんない最新のカードとかが飛び交ってると、やっぱり「引いちゃう」んだよね。少なくとも自分はそうだった。・・・当然違うケースもあると思う。ただ、やめてしまう前の仲間連中が手引きしてくれないと、やっぱり復帰するのはキツいんじゃないかな?
それじゃあコレ書いてるヤツはどうやってマジックに復帰したワケ?ってことなんだけど、帰宅後にマジックのサイトを覗いてたら飛び込んできた「グランプリ京都」の記事を読んだことによって復帰の足がかりができたんだな。
2000年のGP京都。エクテン。優勝者はローリーさんのネクロドネイト。
そこに載ってるデッキリストを見ると、自分の知ってるカードが登場してた。98年のスタンに最も気合いが入ってた自分にとってはトレードサバイバルが馴染み深い。そしてそれのエクテンバージョンがTOP8に入っていた・・・ってのがでかかった。
「俺の好きなカードが使えるじゃん!」
思わずヤフオクで足りないパーツであるトロピーを入手。あとはショップでパーツを買い足して、シーズン最後と思しきPTQ東京へと殴りこみ。・・・6版ルールをろくすっぽ知りもしないでPTQに突っ込むとか、我ながら失笑モノだけどwww
ただ、それも仕方なかった。
だって、俺の知ってるカードを使って、誰かと対戦する機会って、その時PTQしかなかったんだよねw
とりあえずサイドでネクロドネイトをガンメタして内心すげーどきどきしながら試合に臨んだw 初戦はネクロドネイトで、途中ルール理解不足のためにIllusions of Grandeurのライフ回復を誤魔化されたものの、どうにか勝利し、2回戦で補充にボコられ、3回戦で後の06ワールド2位さんのネクロドネイトに・・・「プレイングであしらわれ」て負けた。特に2本目はガンメタサイドしただけにかなり戦える形だったところを、要所要所をピンポイントに強迫打たれてカウンターを抜かれたのが新鮮な驚きだった。・・・ぶっちゃけ単なる安全確認だったのだけどw ただ、その時の相手は高校生だったからね。「うわ今の高校生ってすげーうまいなー」と感心&9841でテンション↑したのを覚えてる。しかし次戦の地雷デッキ相手に事故って負けてむかつきドロップwww
ともあれこんな感じでマジックに復帰した次第。だから自分みたいなシチュエーションで今だったらどうだろう・・・?とか考えてしまったわけ。
んで当時のエクテンって部分がまんま今のレガシーっぽい感じじゃないかと。
ただし今だったらトーナメントがPTQだけしかない・・・のとは違って、AMCをはじめとした草の根トーナメントがあちこちで開かれている・・・・のは今のとこ関東くらいか。とにかく楽しみに来たぜ~、でウェルカムな土壌がさらに広まりつつある。
実にいいじゃん。レガシー。
自分みたいな復帰組にも、そしてフェアリーやフィッシュ(大昔回してたヨ・・・w)みたいなスタン+αで現在バリマジックやってるッス組にも受け皿があるのは、うん、最高なんじゃね?いやホント。そう思うわw
とまぁ、おのぼりサンがナニ熱くなってんすかー(笑)的にまくしたてたところでおしまいにしとけばいいとは思うんだけど、あと1回だけグダグダ続けさせてください。サーセンwww
つづく
コメント
(上福岡・黒田書店の・・・最上階ではない狭いデュエルスペースだった)久々にマジックを楽しんでる学生(多分J北S玉高校だろう・・・後輩だなぁ、とか思ったし)
最初は地下1Fでカード売っていて、高2か3の時に最上階に移動して広くなった記憶があるのでニアミスでなく普通に会っている可能性がありますねw(J北S玉高校に通っていたので後輩にあたります)
スタンでマスクスあたりで、エクテンは赤バーンと青単の争いみたいなことをやっていたと思います。
ちーちゃんの件といい何があるか分からないあたり面白いですね!
いえいえ、今後もなにかありましたら容赦なく突っ込んで頂ければとw
黒田書店の最上階時代は自分の知ってる限りでは埼玉最大のデュエルスペースだったかと。何回か遊んだことがあるので、もしかしたら会っていたかもしれませんね。そこでバイトしてた(関西弁で話す)T中さんは今どこにいるのだろう?などと思いを馳せてしまいましたw
Jタマ生ならば、町●センセイ伝説で盛り上がれる・・・はずっ!?
「北海道への修学旅行時に飛行機でこれ窓開かないぞと行った」
これはまだ分からなくも無いんですが、
「金魚のエサ100円っていう張り紙を見て100円玉を水槽に入れた」
というのは流石に作り話だろw いやでもあの人ならワンチャンスあり得るのか?という感じでした。
担任を持っていたの学年が違くて柔道の時に見るくらいで
いたって普通のセンセイだな、なんでこの人がこんなに伝説が一杯あるんだ、本当にそういうガッツ伝説のような人なのかと。
ほかにもZ会とかいろいろ入学してからは10年くらい経っている今でも鮮明に思い出せるのは相当インパクトに残っている証拠ですねw
さすがにシチュエーションが微妙に変化しているあたりに時間の流れを感じますw
飛行機内にて「危ないのでふざけて窓など開けないように!」
張り紙を見て「高いな・・・」→100円玉を投げ込む
モンブランを見て「このソバ乗ってるやつください」→店員「おいくつですか」→年齢言う
エレベーターガールに「何階ですか?」→「はじめてです」
Z会ネタが一番信憑性があったのかな?(そうか?w)1期の頃はさすがにハシャイじゃってる生徒もいたみたいですし。
「先生。俺、Z会入ったんですよ!」→「暴走族に入るとは何事だァアッ!!」→バキィィッ!!
Z会はこの他にも歴史に残る名コピー:『本番に強いのはイチローとZ会』
の2大イメージが強すぎてガチ通信教材のイメージとは程遠いですwww