※前日記の続きです。

2000年冬にエクテンをきっかけにして徐々にカードを触る時間を増やしていった当時の自分なのですが、やっぱり完全復帰するならスタンっしょ!と息巻くもスタンのトーナメントに出るとちーっとも勝てなくなってしまっていたのでした。自分が離れていた約2年の間にすっかりトーナメントは草の根からPTQに至るまでプレイヤーの間に浸透していたわけです。つまるところプレイヤーのスキルが全体的に底上げされていた、ってことですな。

ところがこれを書いてるお馬鹿さん、こんなはずでは…っ、エクテンなら……、勝てるはず……っっ!などと実に勘違い。再就職もあったりして再びマジックから離れてしまうのでした。そんでもってエクテンシーズンに入ると再開w

この頃に出没してたのがロータス上福岡店。コミヤマが当時そこでバイトしてました。広島から戻ってきたミズイ氏と意気投合してマジックを頑張っていた彼の成果は見事PTヒューストン出場という形で結実したのでした。多分一番PTに出場するのが難しかった頃でしたから、お見事ってやつでしたね。…身内話UZEEEEですかね?すんません。

そのPTに彼が持ち込んだのが上で触れたアングリーハーミット2でした。隠遁ドルイドが非常にワルな墓地ガッチャンドクシッ!のアレです。ローリーさんの逸話が有名ですがコミヤマもまた独自に開発したこともあり、周りからは長らく「墓地で悪さする人」のイメージが定着してしまったりも。で、ヤツってば最近ドレッジ使ってアレですからもう実にアレっすわー。……見てねーよな?ココwww

んでその後にいわゆるカシマフィーバーでPTサンデーの障壁をブチ破ったことから日本勢の躍進が始まった…ってのがサイタマ連中の共通認識なように思うのですが、ここらへんはより詳しい人が多そうなのでこのへんくらいにしとこうかと。

ちなみに自分は彼らの周りを「輝いてるジャンおまえら…!うおっまぶしっ!?」などとブ~ンブ~ン飛び回ってるだけなのでした。その頃も相変わらずザコだったのですorz

そんな感じながらも徐々に現在つるんでいる方々と知り合っていき(間にロータス上福岡店からアンタップみすほ台店へと入り浸り場所が移動)2003年を迎えようとしてました。ちょうど龍王戦の準備大会に顔を出したところで当時大会の主催だった元カバレッジライターのくまと知り合い、これから始まろうとしてたエクテンについてコミヤマに話を聞いていたところで、

「こいつうちらのホープよー。センスあるぜw」

などと紹介されていた高校生ってのが、当時の愛称「タロウ」ことKJくんなのでした。
このあたりはくま編集長のマジック同人誌『じらいげん』に詳しいので興味のある方はどうぞそちらをご覧下さい(自発的宣伝




ひとまず今回はここらへんで。

一応以前に書いてた日記をリンクしといたので物好きな方はそちらをどうぞw
最初の日記がKJくんPTQ突破オメで最後がサイタママジック界最大の珍事報告で終わってるあたりなんだかなーといった感じですがw


つづく

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